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 すれ違った野良猫の吐く息が白くて、一年が終わりかけているのだなと考える。吸血鬼の体温は低くて、冬でも息はなかなか白くならないのを知ったのは、何歳の時だっただろうか。わからない、昔の記憶は深くに沈んでしまって、自分の歳すらあいまいだ。
 今日は、まだ二十八日。だがそれももう数時間で終わる。十二月三十一日まであと何日だ?

 カンタロウが自分の誕生日のことを話したのは、今年の一月一日。
 つい最近のことのような気もするが、もう一年がたとうとしている。
 カンタロウはその日もナギリを連れてパトロールに爆進していた。いつもより浮かれたポンチ吸血鬼に遭遇する確率が高かった気がするが、いつもと同じようなパトロールだった。遠くで鐘が鳴っているのを聞きながら日をまたぎ、路地裏を探索する。幻の辻斬りを探して、ふたりは歩幅をあわせて歩いた、やがて朝日が近いことを知ったナギリが、さすがにもう今日は終わりだと手を振り払おうとした時。
 さらりとカンタロウが言ったのだった。
「もうすぐ夜明けですね! あけましておめでとうございます、良い年になりますように!! 本当は辻田さんと初詣に行きたいのですが、この後も勤務でありまして」
「俺は行きたくないし行かないから、安心して仕事にいけ」
「エーン! でも今年、いや去年? でありますかね、いい年越しでありました!! いつも年末は大変ですが、辻田さんとずっと一緒にいられて、最高のプレゼントだったであります!」
「いつも問答無用で連れ回しているくせに、何が一緒にいられてだ……ん? プレゼントってなんだ」
「実は、本官、昨日が誕生日だったであります!」
「は?」
「辻田さんのお誕生日はいつでありますか? よろしければ、今年、お祝いとか、プレゼントを贈ったりしたいであります!!」
「……俺は自分の誕生日なんか、知らん」
 ナギリは基本的に日々を数えない。街の装いや温度で季節を知るけれども、カレンダーも手帳もない、ましてや特定の日までのカウントダウンなんてしたこともなかった。
「誕生日……」
 カンタロウはあれ以来、誕生日の話をしなかった。ナギリが、自分の誕生日など知らないと言ったからなのかはわからない。とにかく、この話題は二人の間から消えた。
 カンタロウが何も言わないなら、あんな奴の誕生日、忘れたふりしていいはずだ。でも俺はそれを聞いてしまった。あいつが生まれた日を。そして、俺がこの世に生まれた日を、祝いたい気持ちがあることを。誕生日。生まれた日をおめでとうと祝うこと、プレゼントをもらうこと、ナギリは知識としてそれを知っていたが、体験したことはない。優しい祝いの言葉、贈り物、キラキラのリボン、素敵なものが入った箱。イメージはあるけれど、そこに自分が関わる想像ができなかった。クリスマスも同様で、カンタロウと出会うまでは、彼の人生には存在しない遠い世界の話でしかなく、いつしか憧れも感じなくなった。欲しいものは奪って得て、贈られることも与えられることなどなく、存在を見てもらえることもなく。
 欲しいものを贈る。何が欲しいかは絶対に聞けない。カンタロウは辻斬り逮捕への手がかり! とか言いそうだし、その会話からバレにつながってしまって死ぬ可能性も否定できない。
 貧弱漫画家の手伝いに行った時、それとなく聞いてみたことがある、
「誕生日って、どうしたらいい」
「えっ! アシさん誕生日なの? いつ?」
 さすがに、ここで俺は誕生日を知らないというのはまずいと学んでいたナギリは、正直に答えた。
「いや、お、俺じゃない。その、何をするのが普通なのか、聞きたかっただけだ」
「大事な人の誕生日祝いってこと?」
 大事な人。ナギリが違うとも、そうだとも答えられず、ある意味呆然と原稿用紙上の消失点を見つめている間に、神在月が続ける。
「うーん、普通が何かは分からないけど、相手の人が嬉しいって思うものを贈ったり、お祝いの言葉を伝えたりとかかな。まあ、僕も未知のゾーンなので……えへ、ごめんね、あんまり参考にならないや」
「つまり、相手を喜ばせばいいいのか?」
「うーん、喜ばせる……ちょっと意味が違う気も、……あっ、この怪人カイ・ガン・エチゼーンの服、これからずっと柄入れてください、前回のこれ、参考にして」
 目の下のクマをより酷くして、神在月は原稿用紙を指差した。
「こんな細かい貝殻模様にするから、時間がかかるんじゃないか?」
「エーン、そうなんです~、でも設定した時はいけると思って!」
 汗を浮かべながら、神在月が次の原稿用紙に向かう。この漫画家はいつもナギリが来る時はこんな有り様で、その日にいたっては寒いのに冷えピタを貼っていた。
「病気なのか?」
「ううん、大丈夫! 睡眠不足すぎて暑いんだ、体がよりバカになっちゃってる感じ!いつものことだから!」
「じゃあ手を動かせ」
 もうダメだと、ペンを放り出して、謎の腰蓑を取り出そうとしているのを椅子に連れ戻し、ナギリは貝の柄を描き続ける。その日は明け方までかかったが、なんとか仕上がった原稿用紙を揃えおわると、神在月は椅子に足を乗せて床に転がった。うつろな目で天井を見ている。
「あぁ、眠いのに眠くないやぁ~」
「風呂でも入ったらどうだ、スッキリするんだろ」
「睡眠不足でお風呂は死ぬってヌイッターで読みました」
「じゃあ大人しく頑張って寝ろ」
 床の上の神在月に、そばにあったブランケットをのせると、ナギリは部屋を出た。
 プレゼント、贈り物、お土産、差し入れ、お礼、カンタロウはとにかくたくさんのものをナギリに渡した。誕生日でなくても、なんでもない日でも。いつもありがとうございます、嬉しいです、その言葉がいつも間にか、あなたが好きですに変わり、悪い気分でなかったナギリが否定しないでいるうちに、その告白は数えきれないほど行われ、同時にさらに多くの菓子を押し付けられた。
 でもそれは、全部、ナギリから求めたものではない。カンタロウが差し出してきたものだ。ナギリは、欲しいなんて一度も言ってない。そもそもカンタロウも、ナギリに何か欲しがったことはない、はず、だ。捜査協力は別として。好きです、一緒に住みましょう! と言われたのも差し出しであって、求めではないはずだ。あいつは何が欲しいんだろう。辻斬り以外で。
 カンタロウが好きなもの。アシ代と書かれた封筒を見る。嫌いなものならわかるし、求めているものはわかるが。あいつ何が好きだと言っていた?
(辻田さん大好きです!)
 いやいやいや、違う。そういうのではなく、何か買えるもの。なにか、喜びそうなもの。
 ナギリはヴァミマの前で足を止めた。ベタ貼りされたポスターに、コラボ復刻!と書かれている。見たことのあるキャラクター名がそこにある。ガンダマン。カンタロウがいつも歌っていた主題歌が耳によみがえり、ナギリはふらりとコンビニに入った。いつもある菓子やパンの包装が変わっている。ナギリの知らないキャラ絵も多い。
「中身はいつもと同じなのか?」
 棚をながめながら、店内を一周する。食べ物は十二月三十一日までは置いておけない。でも、これは、カンタロウが間違いなく好きなものだ。ナギリは迷った末に、食べ物ではないものを手に取った。
「ありあとっしたー!」
 雑な声を背に受けながら、ナギリは手にしたバースデーカードを見つめた。
 ガンダマンのキャラクターカード。子供向けなのか、大人向けなのか、購買層がよくわからないが、それはしっかりとした紙で、路地裏に落ちているチラシなんかとは全然違った。ファイルを丁寧に開けて、銀色の封筒を、その中のカードを取り出す。開いてみると、HAPPY BIRTH DAY TO YOU! とあり、白い空白がある。多分ここの白いところに何か書くのだろうなとナギリは思い、それから自分はペンひとつ持っていないことに気がついた。ヴァミマで、カードと一緒に買えばよかったかもしれないが、また一ヶ月くらいしたら、どうせあの漫画家のところへ行く。その時、机の上に山ほどある筆記用具を、どれか借りればいいだろう。それまでに書く事を決めておけばいい。そう考えて、ナギリはカードを、ねぐらのマットレスの下に隠した。それから、しばらくカードのこと忘れ、思い出しても書く内容を決められないまま、気がつけば夏も秋も過ぎ去り。
 今日もナギリは、修羅場でアシスタントをしていた。
 腕をまくり、髪を借りたゴムで結えて、ナギリは一心不乱にトーン処理をし、ベタを塗る、白い部分が埋まっていくのをみると、なんとなく達成感がある。あのカードの空白も何かの言葉で埋められたなら、こういう気持ちになるのだろうか? でも、何を書けばいいのか、やはり彼はわからなかった。
「今日は何日だ」
「今日は! 十二月二十八日です、おかしいね! 世の中仕事納めなのにね! まあ、僕の手が遅いのが一番の理由です、この原稿は二十八日までだけど、まだあと五時間くらいね、今日が残ってるから大丈夫! ちょっと休憩する!? 宇勇みる!?」
「黙って手を動かせ」
「ハイ」
 このままではまずい。もうすぐ今年の終わりが来る。何を書く、どうやってあの空白を埋める? そもそも、最初からハッピーバースデーと書いてあるのがおかしい、そのせいで他の書く事を考えなくてはならなくなる。くっそ、何を書くんだ、なにを!
「あの、すいません、ここ、また貝殻模様お願いします」
 貝殻模様とベタフラッシュをひたすらに描き続け、今回は、ナギリはまだその日のうちに神在月の部屋を出た。
 結局、今日も書くことは決まらなかった。気持ちだけが焦る。ポケットにあるバースデーカードにふれながら、ナギリは舌打ちした。どうする、もう何も書かないで、カードだけ突き付けてやろうか。
「くそ、カード以外にするべきだったか…?」
「――ハイ!! 本官まだまだ元気でありますので! パトロール中であります!! えっ?それは聞いた?」
 もやもやする気持ちを抱えたナギリの耳に、聞きなれた大きな声が聞こえてきた。すぐ曲がり角の向こう。声がどんどん近づいてくる。前なら逃げる一択だったのだろうが、ナギリは立ち止った。数秒後、路地の出口に、カンタロウが姿を現した。携帯を握って話している。
「大丈夫であります、パトロールはいつもの――」
 その目がナギリを捉える。
「辻田さん!!!!」
 電話の向こうで、誰かが悲鳴を上げたのが聞こえた、
「ああっすいません、ええと本官、本当に大丈夫でありますので! で、では、パトロールを続けます!!」
 そう言うと、カンタロウは通話を切り、ナギリに駆け寄ってきた。吐く息がホワホワと白い。頬を赤くし、ひたいにうっすらと汗をかいていてる。
「こんばんわ、辻田さん! お会いできて嬉しいであります!」
 前なら、嫌だと逃げ出したのに、いつからだろう。この、自分に会えて嬉しくてたまらないというその声、その表情を、もっと間近で感じていたいと思うようになったのは。カンタロウの手が伸びてきて、ナギリの手首を握る。けれど昔の手錠みたいな折れそうになる掴み方ではない。逃げないで一緒にいてくれますか、そういう、まるで、一緒に散歩に行きたい犬が、大好きな相手の服の裾を軽く喰むように、熱い手が手首をするりと握る。
 カンタロウが少し上目遣いでナギリを見る、
「今夜も是非、パトロールにご協力ください!!」
「まあ、ああ、いいぞ」
 アシスタント後で疲れてはいるけれど、まだ夜のまんなか、まだ大丈夫だ。寒くても、疲れていても、もう少し、こいつと夜の街を歩いているほうが。
「ありがとうございます!!!」
 こんなふうに、自分といられるのが嬉しいという相手といるほうが、楽しい。
 ナギリはポケットを確認した、カードは見えないはずだ。カンタロウに見つかるわけにはいかない。まだ誕生日じゃないし、何も書いてない。まだ、まとまらない。冷えた皮膚に、じわじわと炙るようなカンタロウの体温、これへの返答は、まだ。うまく言葉にできなくて。
 それにしても、今夜の、手の温度はずいぶん高く感じる。本当に熱い。
「おい」
 汗ばんだその手は、熱いのに指先はとても冷たく、汗をかいていて、なんだか尋常じゃなく、思わずナギリは聞いた。
「お前、熱があるのか?」
「いいえ、いつもと同じでありますよ?」
 振り返ったカンタロウの顔。寒いから顔が赤いのかと思っていたが、よく見ると、なんとなくげっそりしていて、目の下にはクマがある。体幹もおかしい。つま先が浮き上がっては地面にくっつくのを繰り返している。カンタロウは揺れていた。目もいつものようにカッ開いていたけれど、その目も揺れている。ふらふら、まるで波のようだ。 神在月の顔がちらりとよぎった。冷えピタを装備し、汗をかきながら、ふらふら部屋を徘徊して。
「……おまえ、もしかして、寝てないのか?」
 カンタロウはいつも、いつ寝ているんだろうと思う活動量と無限を思わせる体力だが、ここまでおかしかったことはない。
「クリスマスの日は寝ました!! 仮眠室で三時間ほど!! なので、昨日ですありますかね?」
「今日は二十八日だぞ!? バカ、お前……」
「大丈夫です、疲れてません! すごく元気であります。二十四時間戦えるであります、通常業務と辻斬り捜査と全部やれて、とってもお得であります! 辻田さんともたくさん会えますし!!」
 アホか。神在月は貧弱モヤシだから比較対象にならないかもだが、どんなに頑丈な生き物も、眠いのに眠らないで日々を過ごすとおかしくなっていく。眠いのかわからなくなる。そう。怯えて隠れて浅い眠りだけしか取れなくてすぐ目覚めて、疲れているのに眠れなくなる、脳細胞が死んでぼんやりした頭からは恐怖感も疲労感も遠のいていって、最後にはなんだか幸せなような気分になっていたっけ、目の下にクマをつくり痩せこけた子供は朦朧と笑って……。忘れていた嫌な記憶が、泡のように弾けてナギリは頭を振った。
「大丈夫です、ちょっとぼーっとする時がありますが、熱いシャワーとか浴びればスッキリしますので!」
「よせ! 風呂に入ると死ぬらしいぞ!」
 ぞっとする。こいつがおかしいのはいつものことだが、壊れてしまっていなくなったりするのは嫌だ。ナギリはカンタロウの手首を掴んだ。
「ちょっと来い、パトロールは中止だ!!」
「えっ 」
 いつもと逆の状態で、ナギリに手を引かれたカンタロウは、混乱しながらもおとなしくついてきた。ナギリはずんずん進み、自分のねぐらの廃ビルへ帰ると、カンタロウの足をほとんど払うようにしてマットレスに座らせた。
「しばらく大人しく座ってろ。それから、できるならちょっと寝ろ」
「あの、本官大丈夫であります、眠くないですし、その」
 反論を無視して、立ち上がらないように威嚇しつつ見下ろしていると、カンタロウが困ったように言った。
「あの、じゃあ、辻田さんも座ってください!」
 少し横にずれたカンタロウの隣に、ナギリは腰を下ろした。思ったよりも近くに座ってしまい、ほんの少しの隙間しかない肩に、まぼろしかもしれないが、相手の体温を感じた。
「……すいません、心配をおかけして、……」
 大丈夫、と続けようとしたらしいカンタロウが、むぐぐと言葉を飲み込んだ。それから、深呼吸をひとつして、
「辻田さんに、心配してもらって、本官……嬉しいであります……!」
 と、言い直した。もじもじとカンタロウの手が膝の上踊っている。指をすり合わせ、握り込む動作が繰り返されている。その手をナギリは握ってみた。冷たくて熱い。
「悪いな、ここは寒かったか」
「フエッ!! いえ、本官、暑いぐらいですありまぁす!!」
 カンタロウがうわずった声で答える。その体温はさらに上昇したようにも感じられた。
「そっそれに…‥辻田さんがあったかいでありますので……」
 耳も首も、指先まで真っ赤にして、カンタロウが言った。吸血鬼は人間よりもずっと冷たいだろうに、それをあたたかいと言うカンタロウに、ナギリは気分を良くして、肩をくっつけた。カンタロウがびくんと姿勢を正し、跳ね上がった心拍数が服越しにも伝わってくる。
「そうか、じゃあ寝ろ、目を閉じるだけでもいいから」
 こんなの余計寝れないであります~、そう呟きながらも、カンタロウは素直に目を閉じた。
「五分寝たら、その後、いつもより多くパトロールに付き合ってやってもいいぞ」
「本当でありますか……?」
 ナギリは答えないまま、寝ろと促した。沈黙が落ちる。嫌な沈黙ではない。どくどくと脈打つカンタロウの鼓動と、呼吸音だけが、外気温と差して変わらない廃ビルの、がらんどうの部屋に漂う。ナギリはぼんやりと、カンタロウのこの体温が、この鼓動が、自分は間違いなく好きだと思った。でも、そんなことは、バースデーカードに書くことではない。だってそれはただのナギリの告白で、カンタロウへの祝いの言葉ではない。カンタロウの鼓動が落ち着いてくる。触れている肩が重く感じられ、ちらりと横目で見ると、カンタロウの頭がふらふら揺れていて、体がこちらに傾きつつある。ナギリは、そっと肩の位置を変えて、カンタロウが倒れて行かないように支えた。カンタロウは目を開けなかった。より近くなった体温と、穏やかになった鼓動が、ナギリにも緩やかな眠気を運んでくる。
 十二月三十一日まで、あと三日。今日は、後どれくらい残っているだろうか。ナギリは自分の頭を、カンタロウの頭の上に傾けた。カンタロウの短い髪をフード越しに感じる。触れた部分が温かくて心地よい。カンタロウがいる。この世の中に、ナギリの横にいてくれる。そうあってくれてありがとうと、贈る言葉を、伝えたい思いをナギリはまだ考えつかないまま、目を閉じて。十二月二十八日は過ぎていった。



贈る言葉を探して/ネギ




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