『祝 おめでとう!!』
そんな赤い文字がデカデカと、白い布に印刷されたもの。それを肩から斜めにぶら下げたカンタロウが扉の前に立っていたので、ナギリは一瞬判断に困って眉間を指で摘まんだが、結局のところ『いや、こいつの誕生日はもう少し後だったはず』とそう結論を出した。
「……お前、誕生日はまだだろ。確か」
「そうでありますね!」
「クリスマスとやらも、もう昨日で終わったんじゃないのか」
「終わりましたね!」
「で、なんだそのふざけたものは」
「『吸血鬼、パーティー用タスキ〝祝 おめでとう!!〟ver.』であります」
この世の中、いや、とりわけこの特異な街、新横浜では『吸血鬼』という名を聞いた時点で、その相手の身に何が起こったのか、何となく理解できてしまう。
それは分霊体を壊されて以降、何かとポンチ騒動に巻き込まれ続けた(まあそれも主にこの目の前の警官のせいだが)ナギリも同様だった。こうなると、言うことはただひとつ。
「知らん、死ね馬鹿、巻き込むな」
「エーン! そんな標語みたいに見捨てなくても!!」
いや、本当に知らん。ナギリにとってはカンタロウの中で自身が一体どの位置に属されているのか不明だが、曲がりなりにも自分は一般市民とやらに近いのではないか。決して、警察が巻き込んでいいような身分ではないんじゃないのか。
しかし以前の〝退治人見習い〟という言葉をきちんと否定しなかったのが未だに仇となって、ナギリの言い分を少々苦しいものにさせていた。なので、ナギリはいつも通り何も上手く立ち回れないまま、まずはカンタロウの話の続きを聞くことになる。
「こちらのタスキ、どうやら自分がまったく使用されないことに腹が立ったらしく、とうとう今年のクリスマスに他のパーティグッズに嫉妬して家出したと……」
「やけに自我がしっかりした面倒なタスキだな」
「困ったことに持ち主さんも、もう自分の家には必要が無いとおっしゃっていて……」
付喪吸血鬼化した物品の扱いは現代社会において何かと問題になっており~、みたいなことをカンタロウがつらつら述べていたが、その内容にあまり興味の無かったナギリは話半分で深くは聞かなかった。
「なのでこちらのタスキさんを、今からVRCに持っていこうと思っていたのであります。……もし人形やヌイグルミであれば、預かってくれるお寺や神社もあったのですが……」
「そうか」
「あ、大抵吸血鬼化が原因なんですが、稀にそうじゃないものも含まれるからとか何とかだそうで」
「そうか」
とりあえずカンタロウのお喋りに適当に相槌を打ちながら、「で」とナギリは一番聞きたかった本題に入るための区切りを間に滑り込ませる。
「じゃあなぜ貴様はここいる」
そうだ。VRCにタスキを持って行くだけなら、ここに寄る意味はまったく無いはず。なぜ、わざわざ足場の悪い廃ビルを上ってまでこの部屋に来たのか。
ちなみにだがこの警官――カンタロウには、自分にどれだけ後ろめたいことがあっても目を逸らさず、ジ、と相手を見つめて我を通す癖がある。
「……そういえばVRCまでに、辻田さんの住居前を通るなぁと……」
「なら寄り道せず真っ直ぐ連行しろ、この道草警官」
そしてその癖を既にナギリは把握している。話は終わった。じゃあな。
そうナギリが部屋の建付けが悪い扉を閉めようとすると、途端に扉の端をガッと掴んできた手がそれを阻止した。もちろんカンタロウだ。そこから覗いたあまりに必死過ぎる形相に、一段とナギリはこの扉を閉めたくなる。
「エェェン! すみません辻田さん! 本当はVRCまでの道のりをお手伝い頂きたく!」
「〝知らん、死ね馬鹿、巻き込むな〟」
「またその標語を!! じ、実は本官、今はこちらのタスキさんに寄生されている状態でありまして! タスキさんを取ることも、隠すことも出来ないのでありまああああす! 仕事中に浮かれているようで、さすがに本官も恥ずかしく!」
「前も思ったが、お前に恥という感情があったことに驚きだ」
「ご辛辣!!」
扉は閉める力と開ける力を左右から一挙に受け、金属製であるにもかかわらずメキャキャと悲鳴を上げる音がする。こんなことが度々繰り返されていては、この扉だってその内限界が来てしまうだろう。
しかしその限界が訪れる前に、珍しくナギリの方が扉の隙間から顔を出し、押しの一手をカンタロウに投げつけた。
「というか何だかんだと色々御託を並べているが、これは辻斬り捜査じゃないんだろ」
「つっ………… 」
「じゃあ俺が手伝う理由は無いな」
ナギリは思わず心の中でほくそ笑む。もしこのまま扉を開けられていたら、きっといつものようにあれよあれよと外に引っ張り出されて、手伝いという名のポンチ道中に付き合わされていた。しかし今日、いつもとは決定的に違う部分がある――そう、辻斬り捜査ではないことだ!
退治人見習いと勘違いされているとはいえ、カンタロウにとっては辻田=貴重な辻斬りの目撃者兼捜査協力者という肩書の方が上だ。だから気兼ねなく断れる。NOを突きつけられる。辻斬り捜査でなければ〝貴重な辻斬りの目撃者兼捜査協力者〟の助力を得る必要は無い。
よし、今日は勝った! さっさと俺を諦めて、そのタスキと共に去れ!
ナギリは扉を完全に閉め切ってしまうために、握っていたドアノブをさらに強く引き寄せる。珍しくカンタロウを退けることに成功しそうで、思わず勝利の笑みが口角に浮かんだ。
しかし、ことはそう簡単に運ぶ訳がない。
バハァンッッ
ナギリが掴んでいたドアノブが、突然引いていた方向と逆側にふっ飛んだ。というか、カンタロウ側にものすごい勢いで引き込まれていった。さっきまで閉まりかけていた扉は今現在あらん限りに完全に開け放たれ、ナギリはそこで突っ立ってドアノブの幻影を掴みながら目を小さな点にしている。開いた扉も口もなかなか戻らず、いつまで経ってもあんぐりと開いたままで塞がらない。
そしてその目の前に、俯きながらプルプルと震えている男がいる。
嫌な予感、逆転さよなら敗北の予感。次の瞬間には耳の危機が訪れることを察し、呆けている場合ではないとナギリは急いで自身の耳をフードの上から手で押さえつけた。それでも目の前の男渾身の「辻田さん!!!!!!!!」は、無慈悲にナギリの耳を突き破っていく。
「本官は今!! 猛烈に!! 感動しておりまあああああす!! まさか辻田さんが、そこまで本官との辻斬り捜査のことを四六時中考えて下さっているとは!!」
「い、いや、そこまで考えては」
「本官が間違っておりました……!! 辻斬りは神出鬼没、狡猾にして時に大胆不敵!ならばこのタスキさんを辻斬りの斬撃からお守りしながらVRCへ無事にお届けすることが、今日の本官の使命ぃい!!」
「辻斬りがそんなペラッペラのタスキなんぞ狙うか!!」
ああダメな流れだ! これは『はいはい、いつものやつ』になってしまう流れだ!既に手首は掴まれて、さあ行きましょう! の姿勢をカンタロウが取っている。『はいはい、いつものやつ』! 終わった!
次の瞬間には、身体が扉の外に引っ張り出されて宙に浮いていた。
◆
ナギリが、カンタロウに抱いている感情は少々ややこしい。
「よく考えれば、他の吸対の奴らについてきてもらえば良かっただろうが!」
「ちょうど副隊長と別れたところだったのであります~~~! それに他の先輩方にわざわざ連絡するのには、少々案件が小さいと申しますか……」
「俺なら暇そうだったと、そう言いたいのか」
「いえ! そんなことはまったく!!…………辻斬り捜査・辻斬りパトロールも兼ねておりますので!!」
「今、妙な間があったな。ちょっと思ってたんだろお前」
いえいえいえ本当にそんなことは無くですね辻田さんがとても頼りがいのあるお方なのでつい当てにしてしまったと申しますか助けて頂けるかもと期待してしまったといいますか決して辻田さんと一緒にいられる口実を増やそうなどという下心だけがあったわけではなく、いや嘘です本当は少しだけあったといえばあったのかもしれませんがとりあえず辻田さんが暇などとは本官は決して! まったく! 微塵も思っておりませんので! どうかそこのところ鑑みてご容赦頂けると
ゴチャゴチャと煩いのをナギリは半ば流しながら、自分のペースでスタスタと目の前に広がる舗装された道を歩く。カンタロウはずっとナギリに纏わりつくように話しかけていることもあってか、自然とナギリにペースを合わせて小走りしており、少し経てば、二人は並んで歩くようになっていた。
今は夜の七時頃。辺りは既に街灯が灯るぐらいの暗さだが、それでも店が立ち並ぶこの表通りにまだまだ人の姿は多い。歩行者のために広めに取られた歩道の中で、カンタロウやナギリの横を何人かが通り過ぎていく。
ナギリはそれを、フードの中から伏し目がちに追っていた。
ふと、ちょっとした違和感。人の視線に過敏だったナギリは、それにすぐさま気がついた。片目を細め、その違和感の先に焦点を絞る。
通る人、通る人、カンタロウの方を見てはくすりと笑ったり、二人連れがこそこそと喋りだしたりするのだ。いやにその表情が微笑ましく、しかもなぜか、その視線の中には隣にいる自分も含まれているようで、どうにも居心地が悪い。
「……ぃ……みたい……ねぇ」
吸血鬼対策課の職員と、どう見ても放浪者な自分の組み合わせ自体がおかしい、というのもあるかもしれないが、普段の捜査に連れ回されている時は特にこのような視線を浴びることもないので、原因は十中八九カンタロウの着けているタスキの方だろう。一体何を祝って『祝 おめでとう!!』と言っているのかさっぱりわからないのに、前から歩いてくる通行人達には思い至れる何かがあるらしく、勝手に想像して勝手にニコニコ・アラアラ・オホホホと微笑みだす。そこに、野次馬精神と慈しむような柔らかさの両方を感じて、ナギリは少々気味悪がった。
いや、待てよ? ナギリは当初〝カンタロウの誕生日が今日〟という可能性を考えたことを思い出す。もしかするとこいつら全員、カンタロウが誕生日を迎えてだいぶ浮かれている奴に見えているのではないだろうか。
そう考えるとあの微笑ましい視線の意味も理解ができる。自分にも同じ視線が向けられた理由は、……さながらその誕生日を祝っている良き友人枠、か?
一瞬脳裏に、きらきらとした一つ折りの紙が思い浮かんだ。
「――――ハッ、辻田さん!」
一人でようやく脳内完結できそうだったのに、どう考えたって碌なことが起きなさそうな『ハッ』を見せられながら、ナギリは心底嫌そうにカンタロウの方へと振り向く。カンタロウはなぜか、こちらに手を差し出していた。
「一度握ってみてもらえませんか!?」
「なんで」
「いいから!」
何がいいのかまったく分からないが、とりあえずカンタロウのさあさあさあさあな圧に押されて、ナギリは渋々前に出された手を掴んでみる。するとそれに合わせて、カンタロウの歩みがピタリと止まった。
「辻田さん、気づかれましたか?」
「なにが」
「本官の制服って白いですよね」
「? ああ」
「隣には辻田さんがいますよね」
「いるからなんだ」
「このタスキ……白い服の上に着けていると、まるで婚約パーティーの主役のようであります」
ピシャンと、カンタロウの背後に雷でも走ったような背景が見えた気がした。
「……ちなみに、この繋いだ手の意味は」
「皆さん、辻田さんがパートナーだと思われているようで、つい」
ナギリはそのままズンと片足を前に出し、掴んだカンタロウごと人目の付きにくい路地裏へと滑り込んだ。そしてそのままズンズンズンと狭い路地を闊歩する。現在進行系で猛スピードで引きずられている馬鹿が、あ゙ぁ~~~~~~~~~~と情けない悲鳴を上げているが、本当にこれ以上馬鹿をやられて目立っては堪ったものではない。
「つじたさん! 辻田さあん! 辻斬りが出没しやすい路地裏を歩くのは少々危険では無いでしょうか!?」
「だったらとっととお前が前歩いて注意を払えばいいだろうが!」
「確かに!!」
結局、いつもの辻斬り捜査とほぼ変わらない布陣の完成だ。違うのは、カンタロウがタスキを一枚身に着けていることと、目的が辻斬り捜査では無いこと。辻斬りにまったくもって関係ないのに、なぜ辻斬りである自分はここにいるのだろうか。
ナギリは先程とは逆にこちらを引っ張り始めた繋いだ手を見つめながら、白い呼吸を寒空へ吐き出した。
ビルとビルの間を縫うような路地裏の細い道を通り、病院の裏道を抜け、ようやく二人は路地裏を出た。横を見ると、先ほど裏を抜けて来た病院の正面が見え、そこから向かいに横断歩道の白い線が連なっている。どうやら一つ道路を隔てた先に病院の駐車場があるらしく、利用者のために横断歩道が設置されているのだろう。
「だいぶ近くまで来ましたね!」
「いっとくが俺はVRCまでは行かないからな。すぐ帰るからな」
その病院の前でちょうど切り替わってしまった信号を待ちながら、ナギリはここからVRCまでの道中、どの辺りでカンタロウからずらかるかを考えていた。かといって予めこうしようと考えていて、上手くいった試しがナギリには無い。どうにでもなれ~! とやけっぱちでやったことの方が案外上手くいくような、これまでの経験上そんな気がする。ポンチ相手には自分もポンチになった方が良いというのは、ナギリが最近気づきかけている世の中の真理だ。
ナギリが世の不条理に頭を悩ませていると、ふいに横へ人が並び立つ気配がした。バレない程度にフードを引っ張りながらそちらを覗いてみると、そこには男女、恐らく夫婦と思われる二人が立っていて、さらに女の腕の中には布の塊が大事そうに抱えられていた。そこからわずかにミルクみたいな甘い香りがしたので、ナギリはそれとなく隣の夫婦から離れ、カンタロウを挟んで逆側に回る。
世間的に、自身の形貌が歓迎されるような衛生的なものでないことは、ナギリは何となくわかっている。面倒事になる可能性があるなら、最初から近づかないほうがいい。
カンタロウの方はというと、ナギリが移動したことも特に気にする様子はなく、案外長い信号の赤色を見つめながら、肩からズレかかっていたタスキの縁を持って位置を調整し、一度上げて改めて掛け直していた。今日はこの仕草を何度も繰り返している。大方、普段身に着けていないものだから違和感があるのだろう。
「元の持ち主に返せりゃ、楽だったのにな」
ナギリはほぼ無意識にそれを口走った。思えば、どうしてカンタロウがこれをVRCへ届ける必要があるのだろう。元の持ち主がやればいいじゃないか。そんな思いから出た言葉だった。それに、元の持ち主はなかなか薄情だ。付喪吸血鬼化するぐらい、一応大事にしてきたものだったんじゃないのか。ならばたった布一枚、家においてやって、時折使ってやるぐらいいいじゃないか。
それに対しカンタロウはキョトンとした後、少々困ったような顔をした。
「それは…………」
「ふぎゃあ」
ある意味カンタロウよりもよく通る、思わずドキリとしてしまうような声だった。
カンタロウとナギリが振り返ると、そこには先程の夫婦がいる。女が抱えていた布の塊をもう一度抱え直すと、次は左右にゆっくり揺らし始めた。男はそれをソワソワとしながら見守っている。しかし、ぷふ、ぷぷ、と小さく空気が漏れる音が聞こえた後、今度こそ、その布の塊は大きく泣き喚き始めた。
「んぎゃぁ、んぎゃぁぁ」
「! 辻田さん! 辻田さん!」
カンタロウがものすごい勢いでナギリに向き返り、パァァァァと陽光のオーラを周りに散らした。
「赤ちゃんでありますよ……!」
それは知っている。先程、ナギリが夫婦から離れたのだって、その赤ん坊から距離を取りたいがためだった。
自覚はあるのか、それとも無意識なのか、さすがにいつもより声量を抑えたカンタロウが堪らない、といった感じで頬を綻ばせて興奮気味なのを見ると、そこまでのことかと逆に冷めるような感情が胸を覆う。
ああでもそういえばこいつ、子供好きって言ってたな、確か。そう思い返していると、いつの間にかそのカンタロウと夫婦が話し込んでいた。時折、その行動力にナギリは舌を巻く。そして余計なことをと、思ったりする。
「赤ちゃん、泣いちゃいましたか?」
「いやぁ、もしかしたら初めての外で少しびっくりしてしまったのかもしれません」
「初めて……? あ、もしかして!」
カンタロウは病院と赤ん坊を交互に見る。
「ふふ、そうなんです。今日ようやく退院したんです」
赤ん坊と一緒にゆらゆらと揺れていた女は、五日前に生まれたところなんですよと、カンタロウに赤ん坊の顔をお披露目していた。ナギリの目からも、布の塊の隙間からほんの少し、その白くてふわふわとしたものが映る。胸いっぱいになっている様子のカンタロウがナギリの方をちょいちょいと手招いて呼んだが、ナギリは頑なに近づきはしなかった。
「ところでお巡りさんのそれはなんですか?」
「あ」
カンタロウは恥ずかしげに、指差されたタスキを掴んだ。
「もしかして……ご婚約ですか?」
「違う」
明らかにこちらを見ながら言われたので、ナギリはすぐさま否定を口にする。ではこれは一体何なのかということは、横のカンタロウが掻い摘んで夫婦へとタスキの事情を話した。
すると夫婦はお互いに顔を見合わせる。それから二人して、ニッコリと微笑んだ。
「それなら――――」
◆
「あんな形でも吸血鬼なんだろ、良かったのか」
ナギリは病院の正面玄関から出てきたカンタロウと合流するなり、ちょうど青色になった信号を渡り始めた。小走りでそれに追いついて来たカンタロウの肩にもうタスキの姿は無く、どことなく晴れやかな表情でナギリと並ぶ。
「はい! 病院の方も快く受け入れて下さいましたし、あのタスキさんが必要とする血液量は本当に微々たるものでした。だから大丈夫です! 吸対やVRCへの提出書類は必要ですが、本官がちゃんと作りますので!」
『あの病院のベビー室に、写真撮影コーナーがあるんです。そこに小道具とかもいっぱいあって……』
夫婦からもらった情報はこうだ。その撮影コーナーに、『祝 おめでとう!!』のタスキはピッタリではないかと。ナギリは外で待つことにしたが、カンタロウは夫婦に連れられて病院の婦人科まで赴き、タスキの件をお願いしてきたのだという。
本官、あの旦那さんにタスキを着けてもらって、ご夫婦と赤ちゃんの写真を撮ってきましたよと、我ながらベストショットが撮れたでありますと、得意げな顔でカンタロウは親指を立てたが、特にそれについてナギリから言うことはない。
カンタロウが特別、書類作りに長けているように見えないし、思えもしなかったが、ここまで自信満々に言うのなら、きっとあのタスキは大丈夫なんだろう。タスキがカンタロウから離れたということ自体、タスキ自身も納得がいったという証拠だ。
「あのタスキさんは恐らく、結婚時かお子さんが生まれた時に使われていたものだと、本官は思うのであります」
カンタロウは横断歩道を渡りながら、今日のタスキが託された時を思い出すように、そう話し始めた。カッコー、カッコーと、信号の誘導音が響く中でも、カンタロウの声はよく通る。
「『思い出の品だが、子供ももう大きくなって家を出ているので、今後使ってやれる機会が無い』そう、おっしゃってたんです」
『付喪吸血鬼化した物品の扱いは現代社会において何かと問題になっており――』
今日のカンタロウの言葉を、ナギリはふと思い出した。人間の寿命は吸血鬼より短い。付喪吸血鬼化したモノは、大抵モノとしての寿命も伸びる。だったら人間が死んだ時、吸血鬼化して自我の芽生えたモノは一体どうなるのだろう。
しかしそこまで考えてから、ナギリは首を横に振る。今の自分には関係も、そんなことに頭を悩ませる余裕もあったもんじゃない。
「今日、やけに婚約祝いと間違われたのもそのせいかもしれないですね」
「俺はお前の誕生日かと思ったが」
「ふふ、そうですね! 誕生日! そういえば辻田さん、今日会った時に誕生日はまだだろって言って下さいましたね! 他の人は婚約、結婚ばかりだったのに」
「それが不思議だった」
「いえいえ! だって本官の誕生日、この街では先輩達以外に辻田さんしか知りませんから!」
その言葉に、ナギリは一瞬足を止めた。
「でも本官、とても嬉しかったです! 辻田さんはクールで、それでいて無駄なことは全て切り捨てているようなドライさも持ち合わせておられると思っていたので、……まさか覚えていて下さるなんて」
辻田は、カンタロウを斬った辻斬りナギリの隠れ蓑だ。そんなことも露知らず、真っ直ぐに辻田への好意や尊敬を語るこのカンタロウに抱く感情の正体が、ナギリは自分でも未だに掴めない。何かとイラつくし、馬鹿だし、怖いし、だが可愛くて、それでいて可哀想な奴、と思ったりもする。
なのでナギリはカンタロウを嫌いになりきれない。だから全力で避けようとしながらも、結局は何だかんだと付き合ってやるし、病院からも帰らずに待ってやったし、今もVRCに書類を取りに行くまでの道のりを一緒に歩いてやっている。こうやって、誕生日だって覚えておいてやるし、当日には祝ってやらないこともない。
しかしこの瞬間、本来、この誕生日を祝うのは辻田の役目では無かったはずということを、釘にして、ナギリは胸に打ち込まれた。
「お前も、あんなのだったのか」
音の消えた横断歩道を渡り終えたところで、ナギリは再度立ち止まる。カンタロウもそれに応じて、少し進んだところで立ち止まった。
「赤ちゃんのことですか?」
「……ああ」
「そうでありますねぇ! 本官もきっと、あんなに小さくて、ふにゃふにゃでフワフワだったんでありましょうな~!」
小さな、幸せでふにゃふにゃのフワフワな塊として生まれたカンタロウ。その姿を知る人も、誕生日すら知っている人も少ないこの街に縛られているのは、紛れもなく辻斬りナギリが要因だ。
「でも辻田さんだって!」
ナギリは、はっと鼻で笑った。
違うな、カンタロウ。そんな訳はない。ナギリが目を瞑ったって思い出すのは、血と恐怖と痛みだけだった。そこに幸せなんて微塵もないし、ふにゃふにゃでフワフワな可愛らしいものもない。――だから、ナギリには誕生日もない。
だから嫌だったんだ。あの夫婦や、赤ん坊に近づくのは。
お前はいいんだ。今は俺と同じところにいるから。
「ねえ辻田さん、……本官はもしかして、五日後を期待していいんでしょうか」
お前の喜ぶ顔を考えながら初めて買った、でもなかなか渡すことができなかった、きらきらとした一つ折りの紙の、ばーすでーかーど。
お前の大好きなヒーローと、あのタスキみたいな祝言が載っている。
「ああ。期待して待っとけ」
辻田には、カンタロウの誕生日を祝ってやらねばならない責任がある。