日付が二十六日に変わる頃になっても、新横浜の街は眠らない。吸血鬼の暮らす地域ならば珍しいわけでもない話で、表通りは夜に活動する人間も含めた大勢の人々で賑わっている。とはいえ十二月の、二十五日の終わりである。常日頃とは少なからず違っている。
辻斬りナギリは様々な場所で立ち働く人々に視線をやっては、それらを他人事として立ち去っていった。どこもかしこも知らない人間と吸血鬼だらけだ。路地裏を探せば獲物の一人でも見付かるかもしれないが、酒がまわって血が不味くなった状態である可能性が高い。クリスマスの夜は終わっていないのだ。
それでもクリスマスの装飾は順調に撤去されていく。ナギリが何を考えようが、未来のために世界は回っていく。そんな世界のどこかであの男も自分の仕事をしているのだろう。
(まさか、ねぐらに帰るまでにまた偶然ばったり遭遇する……なんてことはあるまい。会ったばかりだぞ、あのバカとは)
あのバカことケイ・カンタロウとは、なんやかんやあってともにクリスマスを過ごしたばかりだ。
(いくらあのバカがもうすぐ、いやっ、あんなバカ……ああ。クソッ)
その、カンタロウの生まれた日がもう間近に迫っている。あと五日しかない。本来辻斬りには日付など関係ないはずなのに、祝ってやろうなどと決めてしまったせいで、最近では常に意識してしまっている。
冗談ではなく既にカードも用意してあるのだ。正義のヒーロー、ガンダマンのバースデーカード。路地裏の怪異たる辻斬りには似つかわしくないそれを、今はとりあえず丸電球の陰に隠してある。カンタロウが突然やって来たとしてもすぐには見付からないようにだ。入るなと言ってもねぐらに入ってくる時の彼はまずナギリの、つまり『辻田』の顔を直視しようとするので、何かの陰に隠すという手は単純だがそれなりに有効なのだ。
(あいつが俺のねぐらを知らなかったら、そんな小細工する必要もないんだがな。そのへんに放っておけば……そもそも、あんなもんを用意する必要なんか別に……)
ナギリは誕生日に贈り物をする習慣を知っている。実際に贈り物を受け取った経験もいくつかある。しかし、自分がそうすることにどれほどの意味があるのかは知ったことではない。それなのにカンタロウのためのバースデーカードを用意し、クリスマスも誕生日もともに過ごそうとしている現状である。
川で洗濯をして魚の血を吸い、漫画家の手伝いをして金を受け取り、丸はどうしても見付からない。それでいてすることが、自分を振り回す吸血鬼対策課の隊員へのプレゼント。しかもクリスマスのような日とは趣のまた異なる、誕生日という機会に便乗してのことだ。どうしてもそうしなければならないわけではないのに。
(……いったいなんなんだ。俺は)
相手はあのカンタロウだ。できれば会いたくないはずの人間だ。そんな人間が喜びそうな絵柄のカードを調達した。なにしろ誕生日を祝うための品なのだから。というのが、明らかに矛盾している自覚はあるのだ。
そもそも、敵性吸血鬼が吸血鬼対策課に何を与えようというのか。
(あの、警官だった男に?)
カンタロウはそれこそ『辻田』に物を渡したがって色々と押し付けてくる人間だが、ナギリの方から与えたものなどはきっと辻斬りの痛みぐらいしかない。楽しいものも嬉しいものも渡したことはなく、嘘をつき続け、それなのにどうして今更祝おうなどと。
(……あと五日、そんな風にうだうだ考え込むのもアホらしいことだな……カンタロウのバカは俺を見付けたら悩みもせずに寄ってきて、ためらいなく物を差し出してくるんだぞ? それなのに俺ばっかり何をこんな……こんな)
慣れない真似をしようとするからこんな気分になるのだろう。それでもカードぐらいはくれてやろう、と決めたのはナギリ自身なのだ。
やがてねぐらに帰り着き、眠る前に一度だけカードを確かめる。隠した通りの場所にきちんと置かれている。五日後の切り札。
いやいや、これではまるでその日を楽しみにしているようではないか、と辻斬りナギリは一人で百面相をしながら横になった。
◇
そうして二十六日の太陽も沈む時刻が訪れる。いよいよ新年を待つ空気となった、そんな静かな夜が来る。
「ア~ケオメオメオメ! 我が名は吸血鬼新年スキップ!」
来るはずだったのだが、そこで登場するのが新横浜ではもはやお馴染み、名乗りを上げて騒動を起こすタイプの高等吸血鬼だ。年の瀬でも年始でも暴れるやつは暴れる。吸血鬼対策課と退治人達が泣く羽目になる。唐突に名乗りを上げて妙な真似をするだけの吸血鬼が相手であっても、被害者を出さないために働かなければならないからだ。その点は話の通じない下等吸血鬼や加害そのものを目的とする凶悪吸血鬼と根本的には変わらない。
「人々を新年へとスキップさせる恐るべき吸血鬼でござる! クリスマスも終わった今ためらうことはなし、今すぐにでも新年にしてござるぞ!」
「意味がわからん……」
その場に居合わせてしまったナギリは、吸血鬼の意図をはかりかね立ち尽くしていた。
ナギリも血に飢えたまだまだ凶悪吸血鬼寄りの存在であるから、今夜こそどうにか生き血を吸えないものかと街をさまよっていたというのに、いつの間にやら事件に巻き込まれる側になってしまっている。不死身の肉体を保っていた頃、新横浜に来るより前には考えもしなかったような状況だ。さすがは新横浜、吸血鬼のホットスポットと呼ばれる都市の中でもとくに珍妙な事件が多いことで有名な街である。
(すぐにでも新年にするだと? それでは三十一日が来ないまま忘れられて……じゃないッ、そんなわけがないし関係ない、アホが暴れたら吸対や退治人どもがこの場に集まってくるだろうがっ!)
自分自身への言い訳はともかく、弱体化していようが指名手配吸血鬼であるナギリとしては、捕まる可能性のある状況をできる限り避けたい。
「辻田ッさあああああん!」
などと考えていると、案の定この男が登場する。視界の端に見えてしまったらもう遅い。ナギリを見付けてまっしぐらに走ってくるケイ・カンタロウの姿が消えてなくなることはない。近頃はもう毎日見るか考えるかしている気がする顔である。そろそろ来るだろうという予感すらしていた。
しかしナギリは、今この時には彼の姿に素直に驚いた。
「なんだ、その四角い服は!」
「四角いお餅の着ぐるみを着せられてしまっているのでありまあああああす!」
カンタロウは吸血鬼対策課の白い制服の上に、更に真っ白な四角いコスチュームを着せられていた。背中に全身を覆うほど大きな作り物の切り餅を背負うスタイルで、手足は出ているが、なんと言おうか縦にした握り寿司のようである。ナギリがおかしな格好にされるとすぐ趣味扱いしてくるカンタロウだが、今夜は彼の方が吸血鬼の能力でおかしな格好になっているというわけだ。
(フン、いい気味だ! ……そういえば、そこらへんが正月らしい飾りだらけになっているな。吸血鬼の能力のせいか)
あたりをよく見回してみれば、カンタロウだけではない。周囲の壁や建物にも門松やら凧やらが散見される。そうやって視覚から人々を惑わせ、今から正月気分にしてしまおうとかそういう狙いなのかもしれない。少なからず間抜けな印象ではあるが、見た目を変えるだけでなく本当に感覚を狂わせる可能性もあるのが吸血鬼の能力の厄介なところだ。
とにもかくにも、今のカンタロウは全身を四角い着ぐるみで覆われた餅である。
「丸い餅じゃなくてよかったな。貴様に丸い格好はもったいない」
「エーンッ、本官だって辻田さんちの鏡餅を立派につとめられるはずであります! 今回は吸対が片っ端から四角くされてしまっておりますが!」
「なんだと……つまり今このへんを大量の餅が走り回ってるのか?」
ナギリにとってはただでさえ近寄りたくない吸血鬼対策課という存在だが、ますます怖い。なにしろ人間サイズの白い四角である。圧が強すぎる。
「この街は関東地方であるゆえな、今回は四角い餅にしてござるぞ」
と、ここで吸血鬼新年スキップがふたりに歩み寄ってきた。
「貴様はクソ吸血鬼本人! 普通に話しかけてくるな!」
「おのれお尋ね者! 切り餅にされたとて逃がすかっ!」
カンタロウが前に出て、新年スキップも応戦の構えを見せる。
「出たな吸血鬼対策課! 子供達待望のお年玉袋手裏剣を受けよっ」
「ぐッ! それは反撃しづらいであります!」
カンタロウにためらいが生まれたようだ。しかしナギリには感情面での影響はない――なぜなら、子供の頃にお年玉をもらった記憶など残ってはいないから。
「そのぐらいなんとかしてみせろ、バカ警官! 所詮は小さな紙袋だぞ! こいつをこうして、こうすればッ!」
だからナギリならば通りすがりの、正月らしく羽子板の姿にされた陸クリオネを勢いよく担ぎ上げ、お年玉袋手裏剣の盾にしてしまうことだってできるのだ。
「なっ……なにーッでござる!」
つやつやのボディにピタピタッとキャッチされ、安全に回収されていくお年玉袋手裏剣。伊達に服を溶かす吸血鬼をやっているわけではない陸クリオネは、弾力のある頑丈なボディの持ち主なのである。
「は、羽子板クリオネによる羽根突きバリアでござるか!」
「突いてないがな」
「能力の影響を受けた個体でありますね! さすがは陸クリオネかぶりをご趣味とする辻田さん、どこまでも知り尽くしているっ!」
「貴様は黙ってろ、四角い餅!」
叫びながらも最後に一発、飛んできた手裏剣を受け止める。するとその衝撃に陸クリオネの重みも加わって、勢いでナギリのバランスが崩れた。
「ぐッ……!」
「危ない!」
咄嗟に駆け寄ってきたカンタロウがナギリの体を受け止めて、抱き寄せながらも倒れ込む勢いを抑え、アスファルトの地面に座る格好で着地する。ナギリは気が付けばカンタロウと向かい合わせで膝に抱かれた状態になっていた。
「……えっ、あっ、びッ……くりしただろうが、余計なことをするな!」
「つっ、辻田さんが危ないと思ったらもう夢中で~!」
カンタロウの背中側を覆う切り餅が上手い具合にクッションになったようだ。装着しているカンタロウが座ればそれに合わせて曲がってくれる、さり気なく柔軟性に富んだ着ぐるみである。
(またか……また貴様は俺が危ないと思ったから、とか。そんな理由で……)
羽子板デコレーションの陸クリオネは放り出されながらも優雅に、別途単独で着地したようだ。今のナギリにバリアはない。ただカンタロウの膝に抱かれて真っ直ぐ見つめられている。
(こいつは必ず来るんだ。いつだって)
タイミングが良いにしろ悪いにしろどこからでも現れて、辻田かあるいは辻斬りナギリのために行動を起こす。ケイ・カンタロウとの間にある運命のようなものを、バカみたいだと考えながらもナギリは信じてしまっている。
「あの、近い、でありますね……辻田さん」
「…………」
自分を抱いている切り餅男がなんだか嬉しそうに寄越してくる言葉に、返事はしてやらなかった。
黙ったまま彼の体を押しのけるようにしてスッと立ち上がる。それから、吸血鬼新年スキップがいる方へずかずかと歩んでいき、正月らしさがコンセプトなのか紅白でめでたい雰囲気の衣装の首根っこをグッと引っつかむ。
「……こっちを捕まえろ、こっちを!」
「あ! は、はいっ!」
それこそがカンタロウの仕事だ。押しのけられた勢いで既に立ち上がっていた彼の方へ新年スキップを突き出し、取り押さえさせる。カンタロウは何やら顔を赤くしながらもナギリと交代して吸血鬼対策課の責務を果たした。
「カンタロウ、大丈夫か!」
程なくして彼の仲間達も現場に集まってきた。隊の副隊長であるというヒナイチとダンピールである半田だが、今日は彼らもそれぞれ四角い餅を背負っての登場である。新年スキップの能力がまだ解けていないためだ。
「むっ。そちらは辻田さんだったか」
「どうも……」
「騒ぎに巻き込んでしまったのだな。あなたも能力を受けているようだが……」
「無事です」
「無事に見えん」
半田に対し、ナギリは羽子板デコレーションの陸クリオネをかぶってやり過ごす賭けに出た。吸血鬼対策課のダンピールに怪しまれて色々と指摘されたらもうお終いである。
「辻田さんが確保にご協力くださいまして!」
「ぐぬう。無念でござる……」
「そうだったのか。本来は我々が誘導して避難してもらわなければならんのだが、とはいえご協力心より感謝する」
「もしかして、その陸クリオネが頭から離れなくなってしまったのか? よし、ひとまず私達が外すのを手伝おう!」
「大丈夫です! 大丈夫! それでは!」
ヒナイチの善意も疑われない程度に受け流さなければ、最終的にVRCとかへ連れて行かれてやっぱりお終いである。
というわけで、ここは指名手配犯らしく可及的速やかに現場から逃走することにする。一目散にねぐらを目指しながら、ナギリは能力が解け羽子板ではなくなった陸クリオネを自分の手で脱ぎ捨てた。
◇
クリスマスは終わったはずだというのに騒がしい夜だった。まだ日付が変わってもいない時刻であるものの、ねぐらに帰り着いたナギリはぐったりと疲れていた。バースデーカードを取り出してガンダマンの絵柄を多少恨みがましく見つめる。
(三十一日までこいつを隠し通せるのか……? まだ日にちがあるのに。いや、あと少ししかないのか……)
決して指折り数えて楽しみにしているわけではない。ないはずだ。ただ、カンタロウがどこからでも来ていつでもうるさくするものだから、その日が来ることもカードの存在も忘れられないでいるだけなのだ。
騒がしいカンタロウとともに彼の誕生日を迎えてやる。丸を見付けて保護することも全盛期の力を取り戻すこともできていないナギリだが、彼に小さな贈り物の一つぐらいくれてやることはできる。その後には正式に年が明ける。続いていく時間を、どうなるかも知れない未来を生きていくナギリの傍に、いつまで彼の姿があるか定かではないけれど。
(……せいぜい楽しみに待ってろ)
バースデーカードを用意したからには少なくとも、ナギリは未来というものを信じてしまっている。贈り物をすることでカンタロウの記憶に新たな何かを残してやろうという野望と期待がある。それはナギリもこの街の人々から何かを受け取ってきたからこそであり、例えば──カンタロウから贈られた様々な菓子のことを、振り回されながら過ごす日々を、忘れることなく生きているからでもあるのだ。
カンタロウの腹には辻斬りに付けられた傷の痕がある。それすら記憶したまま、それでもナギリは彼が生まれた日を祝福しようとしている。
「辻田さん! 先ほどはご協力ありがとうございましたあああああッ」
「あああああ、ふっ、普通に来るな! カードがッ、いや! しっ、仕事はどうした?」
「新年スキップはVRCへ送られまして……あれ、今何か持ってらっしゃったような?」
「知らんし気のせいで関係ないから帰れ。今日はもう店じまいだ」
「それでは、また明日に! 今年もあと少し、辻斬り捜査も抜かりなくいきましょうっ」
「明日もやらん!」
「辻田さんとふたりでならッ今年も来年も絶対無敵でありまあああああす!」
この嘘が暴かれない内はと、そう自らに言い聞かせながら。