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 今年も十日あまりを残した夜のことである。
 年の瀬ということで新横浜の街は全体的にはしゃいでいた。何せ年末はイベントごとが多く、それに比例してはっちゃけた人間やら吸血鬼やらも増えてくる。神奈川県警は全課を挙げて犯罪者、ポンチ、浮かれたアホ、ギリギリ罪に問えない人間の変態などの対応に追われているらしく、カンタロウも街を駆けずり回っているようだった。ナギリはアシスタントのアルバイト、それも社会復帰の真っ最中で気を遣われている身分であるから暇があるのかというとそういうわけでもなく、正月前後の休みやらその後にやってくる拡大号のカラー原稿やらで大忙しだ。先ほど神在月の姿を最後に見たとき、彼はクリスマスツリーの仮装のままブレイクダンスに挑戦して案の定床にひっくり返っていたのが、それも適当に机の前に放置して帰ってきた。
 カンタロウとの予定が合ったから。

 正確には、合ったというよりも合わせたという方がより現実に即していた。いくら忙しかったとしてもナギリの方が、公務員のカンタロウよりはまだ時間の自由が利く。夜の非番が確実に取れるのは年が変わるまでだともうこの日しかない、と打ち明けられたのはつい数日前のことで、「クリスマスも年明けも一緒にお祝いできそうになくて申し訳ないであります!」と土下座せんばかりのカンタロウがさすがに哀れになったので、夜の食事を外へ食べに行く約束をしたのだった。

 時間も合わせたはずだったが、カンタロウはまだ家にたどり着いていないようだった。仕事着から外出のための畏怖い恰好に着替えてもまだ時間が余ったので、ソファに掛けてぼんやりとすることにした。暖房の風に吹かれてふわふわと天井にひっかかっている赤い風船を見ていると、昔のことを思い出す。これも先ほど、駅前で配っていたものをうっかり受け取ってしまったものなのだが、いかにもラブラブな恋人同士ですといった風情のハート型をしているそれがナギリには違う意味を示す。

 まだナギリが「広域傷害犯の辻斬りナギリ」だった頃、どれだけ街が賑やかだったとしても、それらの営みからただひとり取り残されているような気がしていた。あの時泣いていた子供は何歳になったのだろうか。今ならはっきりとわかる。あの時、自分はあそこへ、あたたかなひかりへ包まれた表通りに出ていきたかったのということが。

 今のナギリにはカンタロウの誕生日を祝ってやることができるのだ。

 捕まることがすべての終わりだと思っていたあの頃からすれば、とても考えられないような暮らしをしていると思う。家がある。仕事がある。服は何日分かあって、気候に合わせて選ぶことができる。人を襲わずとも食事をすることができる。一緒に暮らす相手がいて、彼は自分のことを必要としている。昔の、誇りばかりとがらせて人を傷つけた自分のすべてが間違っていたとは思わない。それでも今、ナギリは幸せだった。口にするのにはまだ時間がかかりそうだけれど。

 ――暮らしというのには、例えばけたたましい音でふたりの部屋のドアが開いたときに玄関まで迎えに行ってやるとか、冷え切ったその指先を握って暖めてやるとか(それがたとえ吸血鬼の冷たい手でだとしても)、そういうことが大事なのではないだろうか? 走って帰ってきたらしく、カンタロウは上気した顔で白い息を吐いている。「ただいま戻りました!」と告げて、部屋の中へ駆けていく背中を見ていると、今なら何でも聞ける気がする。誕生日の祝いには何がほしいかだって。
 急いで支度にとりかかるカンタロウの上着の裾を掴んで、ナギリは口を開いた。
「なあ――」



ひかりの中でくらすこと/炭化カリウム




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